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 あ行の主人公
 戦国武将の簡単な経歴を紹介。主人公となっている武将が中心です。

」で始まる武将

:読み終わった本(独自評価付) :amazon.co.jpへ飛びます

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大内 義隆 おおうちよしたか
周防の大内家の当主。大内義興の嫡男
家督相続後に少弐氏・大友氏を破って北九州を制圧。大内氏最大の版図を有した
多彩な学問や文学を好み、京から公家や僧侶を招いて京都文化を伝承した
毛利元就に敗れた尼子氏を攻め、本拠・月山富田城に迫ったが配下の寝返りで総崩れとなる
撤退中に養子・義房を失い、次第に公家のごとく文芸におぼれて国政を疎かにし、重臣・陶晴賢の謀反により長門に逃げるが追い詰められ自刃した
[登場する本]
大内義隆と陶晴賢 京狂いの果て−大内左京大夫義隆(「おのれ筑前、我敗れたり」収録)
小説・大内義隆 陶晴賢(「悪人列伝」収録)(脇役)
覇道の鷲毛利元就(脇役)


大久保 忠隣 おおくぼただちか
大久保忠世の嫡男。幼名・千丸
徳川家康の近習となり、掛川城攻め、姉川の戦い、三方ケ原などで戦功をあげる
家康の関東移封後に武蔵・埴生城二万石。徳川秀忠つき老職となった
父の没後に遺領相模・小田原を併せて六万五千石
関ヶ原では秀忠に従って遅参。戦後は酒井忠世や土井利勝と共に幕閣で重きをなす
慶長十九年にキリシタン弾圧のため上洛途中に改易。原因は大久保長安事件
近江・栗太郡に配流となる。家康没後、剃髪して渓庵道白と号す
[登場する本]
小田原城主大久保忠世・忠隣 里見安房守忠義(「大名廃絶録」収録)(脇役)


大久保 忠世 おおくぼただよ
大久保忠員の嫡男。幼名・新十郎。嫡男は大久保忠隣
徳川広忠に仕え、酒井忠尚攻め、蟹江城攻めで活躍。父や弟・大久保忠佐と共に蟹江七本槍の一人に数えられる
三河一向一揆と戦い、眼を射られた。三方ヶ原の合戦で浜松へ退却した後、武田軍を夜襲して武田信玄を驚嘆させた
その後も長篠の合戦、犬居城攻め、高天神城攻めなどで戦功をあげる
本多正信の徳川家帰参をとりなしたといわれる
家康の関東移封後に相模・小田原四万五千石
[登場する本]
小田原城主大久保忠世・忠隣 強情・彦佐(脇役)
三河武士の真骨頂 大久保忠世(「家康・十六武将」収録)


大久保 長安 おおくぼながやす
徳川家石見銀山奉行
父は大和金春座猿楽の大蔵大夫金春(こんばる)七郎喜然でその次男。幼名十兵衛
父・喜然は後に武田信玄に仕え、長男を小姓衆とし次男の十兵衛を蔵前衆とした
一時名族土屋姓を許され、土屋藤十郎長安と称した
武田信玄没後甲州を逐電して三河に住み、能の好きな大久保忠隣に取り入り徳川家康に仕えた
忠隣の父・忠佐から大久保姓を貰って大久保長安と名乗った
奉行となった石見銀山の産出量が急激に増加したため、但馬の生野銀山・佐渡の相川金銀山の奉行を務め急速に出世する
八王子千人同心を創設し統率し、家康の六男・松平忠輝の後見役となり、従五位下石見守に叙任された
所領は横山八千石だったが、幕府領約二百万石を取り仕切る「天下の惣代官」と呼ばれた
ルイス・ソテーロとの親交がありキリシタンだったともいわれる
慶長十八年に没後、幕府の公金横領が発覚し遺子七人は切腹させられた
また大久保家の所領は没収され改易となり、長安を推挙した大久保忠隣も改易となった
[登場する本]
大久保長安 大久保長安―家康を支えた経済参謀
講談大久保長安 御家の狗
里見安房守忠義(「大名廃絶録」収録)(脇役) 猿楽を舞う如く
捨て童子松平忠輝(脇役)


太田 資清 おおたすけきよ (太田道真)
扇谷上杉家の重臣。太田資房の子。太田道灌の父。幼名・源六郎。左衛門大夫。備中守。号は道真
上洛して将軍・足利義教に謁見し、武蔵・足立郡与野・笹目両郡を与えられた
足利成氏と江ノ島で戦い、成氏が山内上杉憲房を殺害すると、扇谷上杉顕房を補佐する
息子・資長(道灌)に家督を譲り、越生に隠棲し出家して道真と名乗った
歌人として有名で宗祇や心敬を招いて「河越千句」を行った
息子道灌が殺された時はすでに八十歳近く、八十二歳で没する
[登場する本]
太田道真と道灌


太田 資長 おおたすけなが (太田道灌)
太田資清の子。幼名鶴千代。太田持資・太田資長。のちに剃髪して道灌と号す。北条早雲と同年生まれ
幼い頃から利発であり、山内上杉家が召上げようとしたが扇谷上杉家で「万金にも換えがたい」と断ったという
その後元服し扇谷上杉定正の執事として仕えた。古河公方と両上杉家の対立で主家・扇谷上杉家の軍略を担った
堀越公方の命で駿河今川氏の内紛鎮静のため出陣。その留守中に長尾景春の乱が起こり、鎮圧のために景春方と相模・武蔵・下総で三十以上の戦いを行ったが一度も負けなかった
しかし主人定正よりも器量がある名将であり、度々諫言をしたため疎まれ始める
その後に山内上杉顕定に謀られた定正により暗殺された
江戸城や岩付城、河越城などを築城したことで有名。また足軽隊をはじめて編成した武将という
和歌を飛鳥井雅世に学んだ歌人でもあり、江戸城に文庫を設け歌集「慕景集」を残した
[登場する本]
小説太田道灌 小説太田道灌
太田道真と道灌


太田 長知 おおたながちか・ながとも (太田但馬守)
前田利家の妻・まつの甥。前田利長の義兄。太田但馬守
利家の小姓として仕えていたときから勇猛をうたわれ、二十数度の合戦に出ながら敵に遅れをとったことが一度もなかった
関ヶ原の戦いで大聖寺城を落した前田軍が、丹羽長重の奇襲で利長の本陣が危なくなったときに奮戦し、全軍を撤退させた
この功により一番家老となり大聖寺城主となった
しかし二番家老・横山長知一派と対立し、最後は利長の命で横山長知に殺害された
[登場する本]
金沢城嵐の間(「金沢城嵐の間」収録)


太田 信定 おおたのぶさだ (太田牛一)
織田信長の家臣。通称・又介。太田信定。のちに太田牛一。和泉守。
柴田勝家に足軽として仕えたが、のちに信長の直臣として弓衆に加わり、数々の合戦に参加
その後信長の側近として内政面で活躍した。本能寺の変後は加賀松任に蟄居
豊臣秀吉に仕えるようになり、奉行職として活躍した
文才に優れ、『信長公記』の著者として有名。そのほか『安土日記』『大かうさまくんきのうち』などをしたためた
[登場する本]
信長の棺


大友 義鎮 おおともよししげ (大友宗麟)
豊後の領主。大友義鑑の嫡男。幼名・塩法師丸。大友義鎮(よししげ)
父・義鑑は義鎮の異母弟・到明を可愛がり、傅役・入田親真と謀り反対派重臣を誅殺
危うく逃れた反対派重臣が反撃し、義鑑・到明・その母を討ち取った
これを聞いた義鎮が入田親真らを討ち家督を相続することになる(大友二階崩れ)
その後北九州六カ国まで版図を広げ、肥前・豊前・筑後・筑前の守護職および九州探題となり、大友家全盛時代をつくる
また北九州進出していた大内氏と争い、大内義隆没後は毛利元就と争うことになる
しかし決戦前に朝廷の仲介により和睦。義鎮の娘を毛利輝元に嫁がせた
この後剃髪して宗麟と称し、嫡子・義統を本拠・府中城に入れ、領国内の反乱分子制圧戦に明け暮れる
その後日向の伊東義祐を助け島津氏と対戦して敗れた。これを契機に大友家は衰退し始める
家督を大友義統にゆずり、龍造寺征伐に専念。龍造寺を討った島津と再度対戦するが破れる
本国の豊後を奪われ豊臣秀吉に援軍を依頼し、秀吉の九州征伐が始まる
戦後秀吉から子の吉統に豊後一国を安堵され隠居するが翌年没す
キリシタンとの関係が深く、領内にフランシスコ・ザビエルを招きキリスト教布教を許可し貿易の利も得た
その後自らも改宗して洗礼名はドン・フランシスコ。ローマ教皇のもとに少年使節を派遣した
[登場する本]
王の挽歌 大友宗麟・道を求め続けた男
大友二階崩れ(「大友二階崩れ」収録) 火炎城
三位入道(「奥羽の二人」収録)(脇役) 立花道雪(「戦国の軍師たち」収録)(脇役)
立花道雪―炎の軍扇(脇役)


大友 吉統 おおともよしむね
大友宗麟の嫡子。初め義統を名乗るが豊臣秀吉の一字をもらって吉統とする
文禄の役で平壌にあった小西行長が明の大軍に包囲されたとき、その後方を守っていた吉統は行長を見捨てて逃走
秀吉の逆燐にふれ「古今に類なき臆病者」という罪科により所領召上げ
吉統は毛利輝元にお預けとなり周防に配流され蟄居の身となる
その後佐竹義宣に預け替えとなり秀吉の死により蟄居をとかれ無禄ながら自由の身となる
義乗の元に身をよせた後、京都・本能寺の一室に側室綾の方、その子長熊丸と共に起居する
関ヶ原では石田三成方につき旧領奪回のため豊後で徳川方と交戦、黒田・松井勢に敗れ黒田如水に降伏する
戦後秋田実季にお預けとなり出羽・秋田に幽閉、実季が常陸・宍戸に転封になるとこれに従い配所で没す
[登場する本]
悪名の旗(脇役) 王の挽歌(脇役)


岡 左内 おかさない (岡野左内)
若狭・太良庄城主・岡泉守盛俊の子。幼名・源八。岡左内定俊
蒲生氏郷に二千石で仕えたが、氏郷没後浪人。関ヶ原前に上杉家へ仕官した
関ヶ原時には福島方面で伊達軍と戦う。このとき伊達政宗と一騎打ちを行い敗走させたという
銭をあつめるのが趣味で、部屋に敷き詰めその上に裸で寝転ぶのが好きだったという
しかし関ヶ原開戦前に持銭すべて上杉景勝に献上した
またバテレンからもらった南蛮具足にマンテラ、ヨーロッパ中世騎士が使用した兜をかぶり、鳶の嘴風に突出した面甲をつけて戦場を疾駆したという
戦後上杉家を去り浪人、伊達家からの招きを断り蒲生家に仕官した
[登場する本]
ばてれん兜(「兵庫頭の叛乱」収録)


小笠原 権之丞 おがさわらごんのじょう
徳川水軍の将・小笠原広朝の子。小笠原大学頭。キリシタンで洗礼名・ディエゴ
徳川家康旭姫の侍女との間に生まれたという説もある
父の死後に家督を継ぎ、三河・西幡豆郡および上総・富津で所領五千石の旗本となる
幕府のキリシタン禁止令に背き、棄教しなかったために改易となり浪人した
大坂の陣開始前に大阪城に入城。親しかった明石全登隊に所属して戦う
天王寺・岡山の最終決戦で討死した
[登場する本]
家康と権之丞


小笠原 長治 おがさわらながはる (小笠原玄信斎)
遠江・高天神城主・小笠原長忠の末弟。甥ともいわれる
今川家、北条家に仕えた。小田原落城前に城を抜け、奥山休賀斎に師事
ひたすら剣の道に励み、琉球・明に渡って矛の術を学ぶ
その後江戸に出て小笠原玄信斎と称し、「八寸の延金」という二方棍の技を完成させる
諸方の名人達者の兵法者が立合っては片っ端から破られ、剣聖・上泉信綱が生きていて立合っても敗れたであろうと噂されたほでどあったという
休賀斎から継いだ神影流を真新陰流(真心陰流)と改めた
[登場する本]
新陰流小笠原長治


 おかだよしあつ (岡田善同)
尾張・星崎城主岡田重善の次男。岡田重孝の弟。通称・庄五郎。善同ともいう
兄が織田信雄に誅殺されると伊勢に逃れた。のちに加賀・前田家に客将として寓居
その後、加藤清正に八千石で召抱えられ、苗字を加藤に改めた
しかし次第に清正と対立するようになって肥後を出奔。徳川家康に招かれて、美濃で五千石の旗本となった
伊勢の山田奉行を務め、従五位伊勢守に叙任した
[登場する本]
戦国兄弟(「かぶき大名」収録)


織田 勝長 おだかつなが (武田勝長)
織田信長の五男。幼名は御坊丸。美濃岩村城主・遠山景任の養子となる
景任が死去し、その室(信長の叔母)が城主となったときに甲斐武田氏の部将・秋山信友に攻められて降服
城主・景任の室は秋山信友の妻となり、御坊丸は甲斐へ送られた
後に武田勝頼の偏諱を受け源三郎勝長と称す
上杉謙信没後の御館の乱では勝頼の命で上杉景勝に従軍したとも言われる
武田氏滅亡間近の頃に織田家に送り返される。尾張・犬山城主となった
本能寺の変では織田信忠と行動を共にし討死
[登場する本]
最後の赤備え(「尼首二十万石」収録)


織田 長益 おだながます (織田有楽斎)
織田信秀の十一男で織田信長の弟。幼名は源五(郎)。織田有楽斎長益。茶人として名高い
本能寺の変時には織田信忠とともに妙覚寺にいて二条御所で明智勢と戦った後、前田玄以とともに逃亡した
この一件で後に「逃げの有楽」と揶揄された
関ヶ原では東軍についた
大坂冬の陣では淀殿の叔父の立場から大阪城で豊臣秀頼の重臣となるが徳川家康に内通していたという
大坂夏の陣が始まる前に大坂城を出て隠居
有楽町の地名は、織田有楽斎の屋敷があった場所からきている
[登場する本]
織田有楽斎 小説織田有楽斎
小説・織田有楽斎 幻の茶器 花の下 織田有楽斎(「花鳥の乱」収録)


織田 信雄 おだのぶかつ (茶筅丸)
織田信長の次男。母は生駒の方。幼名・茶筅丸。のちに三介という。伊勢・北畠具房の養子となり北畠信雄
天正3年に具房に代わって国司となる。以後は信長の先兵として紀伊・雑賀攻めや石山本願寺攻めなどに出陣
独断で伊賀に攻め入るが敗北を喫して逃げ帰り、信長から離縁するとまで言われた
のちの伊賀平定後は伊賀三郡を与えられた
本能寺の変の際は、明智光秀の日野城来襲に備えて、城を守る蒲生賢秀から救援を求められ、近江土山まで出陣
しかし光秀が敗死したとの報を得て伊勢へ引き上げた。このときに安土城に火を放ったと宣教師フロイスが記している
変後は羽柴秀吉から美濃・尾張二ヶ国を与えられた
柴田勝家と織田信孝が組んで秀吉に対抗すると、信孝と仲の悪かった信雄は羽柴秀吉につき、岐阜城を攻め信孝を自害に追い込む
しかし秀吉の勢力拡大に危惧して徳川家康と組み小牧・長久手の戦いで秀吉と対戦するが単独講和
その後は秀吉のもとで四国・九州・小田原征伐に参陣。小田原後の論功行賞での転封要請を断り追放さた
このとき出家して常真を称す。後に秀吉の御伽衆となった
秀吉没後は家督を子の秀雄が継ぎ隠居
関ケ原では東軍に通じるが、秀雄が西軍についたため所領没収。淀殿の縁戚として大阪城に住む
大坂の陣が起こると脱出し、戦後五万石を与えられた
晩年は京で過ごした
[登場する本]
狂気の父を敬え 虚けの舞―織田信雄と北条氏規
関ケ原の雨(脇役) 忍の人 滝川一益(脇役)
滝川一益(脇役)


織田 信忠 おだのぶただ (奇妙丸)
織田信長嫡男。母は生駒の方。幼名・奇妙丸。織田信雄や五徳は同腹の兄弟
武田信玄の娘と婚約したが結婚までには至らなかった
初陣は朝倉・浅井攻めで、浅井氏の押さえとして虎御前山に陣を張る。長島攻めや長篠の戦いにも出陣
その後の岩村城攻めでは独力で開場させ、城将・秋山信友を捕らえた
この年に信長から家督を譲られ、尾張・美濃の本領を継ぐ
雑賀攻めや松永久秀の信貴山城攻めでも活躍。信貴山城攻めでは総大将となった
羽柴秀吉の播磨攻略の苦戦に援軍として出陣。荒木村重の謀反による有岡城攻めでも指揮をとった
武田攻めでも総大将となり、高遠城の仁科盛信を攻め落とした
冷静沈着であるが戦場では烈火のごとく働く一方、能楽を好み自らも演じて悦に入っていたことから信長の勘気を受けた
本能寺の変で父・信長を救援に赴こうとしたが、村井貞勝に止められる
その後二条城に籠もって明智軍と戦い、最後は自刃した。享年二十六歳
[登場する本]
織田信忠―父は信長 織田信忠 「本能寺の変」に散った信長の嫡男
最後の赤備え(「尼首二十万石」収録)(脇役) さくらの城
小説 織田三代記 父は信長
信長と信忠 覇・前田戦記(脇役)
炎の柱 織田信長(脇役) 闇に奔る(「闇の松明」収録)(脇役)


小野 忠明 おのただあき (小野次郎右衛門・神子上典膳)
小野派一刀流の開祖。里見家臣・御子神土佐重の子。神子上典膳吉明。にちに母の実家の小野氏を名乗る
伊藤一刀斎と戦って敗れて門弟となり諸国を回遊。兄弟子・小野善鬼を倒して一刀流を継承
小幡景憲を介して徳川秀忠に仕えて剣術指南役となった
信濃上田城攻防戦で活躍して上田七本槍に数えられたが、軍令違反で真田信幸預かりとなり、上野吾妻で蟄居
しかし許され下総・埴生郡本領のほか上総国に六百石を領した
そして秀忠に一刀流の秘伝を伝えた功により諱の一字をもらい次郎右衛門忠明と称した
大坂の陣の後にも旗本との争論により閉門となった
[登場する本]
死闘(「決闘の辻」収録)


小幡 信定 おばたのぶさだ (小幡憲重)
上野・国峯城主。関東管領・山内上杉氏の家臣。妻は長野業政の娘
上杉憲政が北条氏に追われ越後の長尾景虎を頼ったころ、長野業政と小幡景純に城を追われ武田信玄に属すようになった
国峯城には武田氏と対立した長野業政によって、一族の小幡景純が入れられた
永禄四年の川中島の戦いに出陣。妻女山奇襲部隊の一隊を率いた
その後居城だった国峯城を攻め、小幡景純を追って城を取り戻した
長篠の戦いに出陣し討死。川中島以降の経歴は、子の信定であったという説もあり
[登場する本]
夫婦の城(「黒幕」収録)


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*印は著者の創作人物または実在したかどうかは不明な人
あ行 | か行 | さ行 | た行 | な行 | は行 | ま行 | や行 | ら行 | わ行 | 武将以外

 その他の登場人物
 主人公以外の登場人物の一覧表です。
 こちらも戦国本を探すときの参考にお使いください。
あ行 | か行 | さ行 | た行 | な行 | は行 | ま行 | や行 | ら行 | わ行
武将の妻・子| 公家 | 商人・文化人 | 僧侶・忍者 | 外国人


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