外国人 戦国本の登場人物の紹介
上総介の読んだ戦国本に登場する人物を紹介。主人公や脇役の紹介はこちら

あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
武将の妻・子
 商人・文化人 天皇・公家 僧侶・忍者等 外国人

アルメイダ
イエズス会修道士、ポルトガル生まれ、医学を学んだ後東インドで貿易商として資産を築いた、東インドに向かう船の中で出会った修道士に感化されイエズス会の修道士となる、日本では豊後で病院を開き無償で人々を治療した

李鵬寿 いふぉんす
文禄・慶長の役のときの李氏朝鮮の義兵大将、郭再祐にならって咸鏡北道で義兵軍を組織した、黒い軍服を着ていたため、郭再祐の「紅衣将軍」に対して「黒衣将軍」といわれた

仁穆大妃 インモクタイヒ
李氏朝鮮の第十四代王・宣祖の妻、父は金悌男、子は永昌大君、宣祖の正妃朴氏の没後に正妃となった

永昌大君 えいしょうたいくん・ヨンチャンデグン
李氏朝鮮の第十四代王・宣祖の末子、母は仁穆大妃、宣祖は庶子・光海君を退け、永昌大君を世子に冊封しようとするが、宣祖の急死で光海君が即位、その後庶子七人による七庶獄事が起き、庶人に降等され江華島に流刑、のちに殺害された、享年八歳

オルガンチーノ・ニェッキ・ソルド
イエズス会宣教師、イタリア人、ルイス・フロイスのあとに近畿地方での布教長として京に入った、信長の許しを得て安土城下にセミナリオを建設した、高山飛騨守・右近親子の洗礼を行う、信長の荒木村重討伐では信長の使いとして高山右近に降伏をすすめる

郭再祐 かくさいゆう
文禄・慶長の役のときの李氏朝鮮の義兵大将、若い頃に科挙試験に失敗、日本軍侵攻の直後に一族や村民を集めて最初の義兵軍を作った、赤い緋緞で作った軍服を着ていたため「天降紅衣将軍」といわれた

ガスパル・コエリュ
イエズス会の日本副管区長、ポルトガル人、ルイス・フロイスに「日本史」編述の命令した人物、イタリア人宣教師たちと対立し、政治的な力を誇示しすぎたため、秀吉の禁教令をまねいた

ガスパル・ビレラ
ポルトガル生まれのイエズス会宣教師、ザビエル没後に来日、足利義輝にしばしば謁見した、黒田官兵衛が洗礼を受けた、日本にミケランジェロの子を連れてきたことで有名、その子は日本に帰化し「三毛蘭寿郎」と名乗った

金 誠一 きむそんいる
豊臣秀吉が聚楽第にて朝鮮通信使と会見した際の通信副使、帰国後に正使・黄允吉が日本は必ず朝鮮侵略をすると言ったのに反し、侵略の気配が見られないとする見解を示した

金官 きんかん
朝鮮の役の際に捕虜として日本に連れてこられた朝鮮人、加藤清正の下で石工として働くが、後に近習として仕えた、清正が没すると割腹殉死した

クリストヴァン・フェレイラ (沢野忠庵)
ポルトガル人宣教師、イエズス会員、徳川幕府の初期に来日した、日本語に堪能で日本における布教の中心人物だった、1633年に長崎で捕縛され穴吊りの刑で唯一屈して棄教、名を沢野忠庵と変え日本人妻を娶った、これ以降キリシタンの取り締まりにあたる、また西洋科学を日本に伝えることにも貢献した

光海君 こうかいくん・クアンヘグン
李氏朝鮮の第十五代国王、名は琿、第十四代宣祖の次男、文禄の役の最中に王世子となる、父の死後王位を継承して即位、王朝内の党争で兄・臨海君や幼い異母弟・永昌大君を謀殺、しかしのちに反対派により失脚、江華島へ追放された、のちに済州島に移されてこの地で死去

胡宗憲 こそうけん
倭寇平定の最高指揮官、趙文華と謀って責任者を追い落とし権力を握った、徐海を盟主とする倭寇集団を壊滅させ、王直を帰国させて海上保安にあたらせる方針をとり、王直に投降させた、しかし拘束された王直が処刑判決を受けたため助命に走るがかなわなかった、時の権力者・厳嵩父子や趙文華の後ろ盾を失い逮捕・投獄されて獄中死した

シーシン親王
アユタヤ王朝二十四代国王・ソンタム国王の弟、ソンタムの後の国王を予定されていたが、遺言によりチェーター親王が即位した、そのためクーデターを計画したが失敗し処刑された

松雲大師 しょううんだいし
朝鮮王朝時代の僧、文禄・慶長の役で義僧兵を率いて日本軍と戦うだけでなく、加藤清正とも交渉するなど傑僧として知られた、のちに対馬から京都に入り伏見城で徳川家康と会見、日本と朝鮮の国交回復に大きな役割を果たした、また多くの朝鮮人捕虜の帰国にも貢献している

チェーター国王
アユタヤ王朝二十五代国王、ソンタム国王の子、王の遺言により即位、叔父のシーシンが王位をねらっているとして殺害、その後にチャオプラヤー・カラーホームスリヤウォンによって殺害された

シモン・コルデス
オランダ人、オランダ船団の副艦デ・リーフデ号の船長、司令官のヤコブ・マフ病死後に司令官となり、旗艦デ・ホープ号の船長を務めた、上陸した島の原住民との戦闘で死亡した

ジャックス・スペックス
日本におけるオランダ商館長、

ジョアン・バプディスタ
イエズス会宣教師、トルレス神父の後に豊後に入り臼杵の司祭として過ごす

ジョン・セリーヌ
イギリス人、東インド会社が派遣した第8回東洋艦隊の司令官、第2回の東洋艦隊の一員としてジャバに来て滞在し、商館員として約十年間東洋貿易の実務に携わる、イギリスに帰国してバンダム商館長となり、その後東洋艦隊司令官に抜擢された、イギリス国王の国書を携えて来日、

徐海 じょかい
王直の腹心である徐銓の甥、元々僧であったが徐銓に従って日本に行く、薩摩・大隅の日本人を主力として浙江方面への海賊活動を行うようになり、勢力を拡大し倭寇の盟主となった、しかし湖宗憲総督に敗れ官軍へ降伏して使者となり仲間を裏切って官軍に引き渡す、しかしのちに湖宗憲の奇襲を受け自殺した

セバスティアン・ビスカイノ
フィリピン総督ドン・ロドリゴが航海中に台風によって難破し、救助されたことに対する答礼使として来日、日本近海にあるといわれていた「金銀島」の調査も兼ねていた、伊達政宗の知遇を得て調査を行うが失敗し、ヌエバ・エスパーニャに帰るための船の建造費を幕府に申し入れたが断られ、支倉常長らの慶長遣欧使節団と共に帰国した

ソンタム国王
アユタヤ王朝二十四代国王、シーサオワパーク親王を処刑し即位、日本人町頭領・津田又左右衛門の日本人傭兵を雇い戦力とした

松雲大師 そんうんだいし
朝鮮人僧侶、豊臣秀吉の朝鮮出兵軍と戦い、加藤清正との和平交渉も行った、徳川幕府初期に朝鮮王朝の代表として家康と謁見して戦後処理交渉を行い、朝鮮通信使派遣の礎を築いた

チモシイ・ショッテン
イギリス人、オランダ船団の副艦デ・リーフデ号の副航海士、のちに旗艦デ・ホープ号の航海長になった

鄭仁弘 ちょんいんほん
朝鮮の学者・義兵将・政治家、本貫は瑞山、字はコ遠、号は來菴、慶尚右道陜川出身、性理学者・゙植の高弟で、南冥学派を代表した

沈惟敬 ちんいけい・しんいけい
明国の外交官僚、朝鮮の役では日本との和議交渉を小西行長と行った、文禄の役では明・日共に和議文書を偽造して来日、しかしそれが秀吉にばれ、慶長の役が始まることになった

陳元贇 ちんげんぴん
中国明の人、宣都王叔明の血を引く名門・陳氏九十三世の末流という、国の乱れを避けるため来日、多彩な才能をもち、通常六年かかる少林寺拳法の習得をわずか一年一ヶ月で終えた使い手、子昂流の書をよくし、独特の黄釉を使う河南窯の知識もあった、尾張徳川義直の知遇で尾張に来て、京や江戸にも行き、林羅山の紹介で京都儒学の松永尺五や儒医の野間三竹らと交友関係を結んだ

陳思盻 ちんしけい
明国中に名をとどろかせた猛悪無類の海賊、王直のライバル、王直の策略で部下が内応、官軍の協力を仰いだ王直軍に奇襲をかけられ殺害された

ディオゴ・デ・メスキータ
イエズス会神父、天文遣欧使節団の後見人、日本では長崎にコレジョを創設し院長となる、多くの信仰文書を日本語に翻訳、印刷術を広め聖画を製作工房を開き、海外から植木を取り寄せ日本に根付かせた

トーマス・アダムス
ウイリアム・アダムスの実弟、オランダ船団の旗艦・デ・ホープ号の書記役、のちに兄と副艦デ・リーフデ号に移った、途中の島での原住民との戦闘で死亡した

トルレス
イエズス会宣教師、ザビエルの後に府内の司祭として7年間過ごすが、改宗に煮え切らない宗麟を見切り、大村純忠を頼り肥前に移る

ドン・ロドリゴ
イスパニヤの軍人でイスパニヤ領・フィリッピン長官となる、任期を終えてイスパニヤに帰る途中台風に遭い、岩和田海岸に漂着、大多喜城主・本多忠朝に保護され、ウィリアム・アダムス(三浦按針)が建造した西洋型帆船セント・ボナベント十三号でイスパニヤに帰った

ハッドコペー
オランダ人、オランダ船団の総書記としてロッテルダムの貿易会社から派遣され、旗艦デ・ホープ号の書記として乗艦、船長シモン・コルデスの死亡によって船団の司令官とデ・ホープ号の船長を務めた

ピーター・ヤンスゾーン
オランダ人、オランダ船団の副艦デ・リーフデ号の水夫、日本に漂着し、徳川家康の上杉景勝討伐軍に大砲の砲撃手として従軍し、関ヶ原の戦いにも参加した、のちに日本のオランダ商館に雇われて商人頭となった

ピーテル・ノイツ
オランダの台湾長官、長崎代官・末次平蔵と台湾貿易の件で対立、代官の船員を拘束しあっため平蔵の配下の浜田弥兵衛に拘束される、その後長崎で双方の人質解放に合意したが、長崎で付き添いの提督まで拘束され戦争状態に突入、その後職をとかれ日本に突き出され監禁された

ヒエロニモ・デ・イエズス
スペイン人、フランシスコ会宣教師

ファン・バウティスタ・クレメンテ
スペイン出身のイエズス会神父

プラーサートトーン国王
アユタヤ王朝二十七代国王、二十四代ソンタム王の信任を得てプラヤー・シーウォーラウォンに昇進、ソンタムの死後、即位したチェーター親王を即位させ、叔父のシーシン親王を処刑させた、その後、チェーター王が反目しはじめるとこれを処刑し、その後アーティッタヤウォンを即位させたが、官吏らの推薦で王位に就いた、パタニ王国の反乱を鎮圧したが、チエンマイをビルマにとられている

ブルーク
オランダ東洋艦隊の船長、オランダの国書と贈り物を携えて来日した

ペーター・ヤンツ
オランダ船団の副艦デ・リーフデ号の船大工、ウイリアム・アダムスらと日本に漂着し、徳川家康の命で南蛮船の建造を行った、堺に住み妻子をもうけた

ペドロ・モレホン
イスパニア人、若くしてイエズス会に入り日本へ派遣された、オルガンティ−ノ神父の後をうけてイエズス会日本管区の主要人物の一人となり、京の下京教会の院長および本州全域の長となる、9年間京都に滞在した、『日本殉教録』を書いた

黄允吉 (ほあんゆんぎる)
豊臣秀吉に謁見した朝鮮通信使、正史を務め副使は金誠一が務めた、謁見後の二人の秀吉評は正反対に分かれ、黄允吉は秀吉の出兵を予見し、金誠一は出兵はありえないと主張した

メルヒヨール
オランダ船団の副艦・デ・リーフデ号の書記役、日本に漂着しウイリアム・アダムスらと家康に謁見、ウイリアム・アダムスらと江戸に六年間滞在した、その後祖国に帰るため平戸からマレー半島のパタニに渡り、オランダ東洋艦隊と合流するが当分祖国に帰れないと知り、パタニから日本に戻った

メンデス・ピント
ポルトガルの冒険商人、東アジアを中心に活躍、日本に鉄砲をもたらした人物ともいわれる、のちにフランシスコ・ザビエルに心酔しイエズス会に入る、ザビエルの後を追い来日、3年間滞在したが修道士をやめてリスボンに帰った、帰国後に「東方遍歴記」を書いたが世間に理解されず、彼の名前を掛けて「メンダス・ピント(嘘つきピント)」と呼ばれた

弥助 やすけ (ヤーシェル)
本名ヤーシェル、日本に来日した初の黒人、モザンビークの王子、ポルトガルに国を滅ぼされヴァリニャーノの召使として来日、信長に謁見後仕える

ヤコブ・クアケルナック
オランダ人、オランダ船団の副艦デ・リーフデ号の船長、日本に漂着し、ウイリアム・アダムスらと江戸に六年間滞在した、その後祖国に帰るため平戸からマレー半島のパタニに渡り、オランダ東洋艦隊と合流し、ポルトガル大艦隊との海戦中に戦死した

ヤコブ・マフ
オランダ人、オランダ船団の旗艦デ・ホープ号の船長で船団の司令官、航海途中で病死

山田 オークン (山田オイン)
山田長政の子、日本ではオインと呼ばれることが多い、長政死後にリゴール長官(国王だったともいわれる)を継ぐが、内部対立で殺害されたとも、カンボジアに逃れたともいわれる

ヤン・コーサイス
オランダ人、オランダ船団の副艦デ・リーフデ号の水夫、日本に漂着し、ウイリアム・アダムスらと江戸に滞在した

ヤン・ヨーステン
オランダ人、オランダ船団の副艦デ・リーフデ号の副航海士、日本に漂着し、徳川家康の上杉景勝討伐軍に大砲の砲撃手として従軍し、関ヶ原の戦いにも参加した、のちに家康に仕え幕府に扶持を得て八重洲に屋敷を持った、八重洲はヤン・ヨーステンがなまったものといわれる、十年間日本に滞在したが東洋貿易をはじめるためにジャバに渡ったが、借金を重ね行方不明となった

柳成龍 ゆそんによん
朝鮮の文臣・名宰相、李舜臣・權慄ら名将を推薦・登用する、国王の信任が厚かったが、国事を誤ったという反対派の弾劾で免職、平安道観察使になる、のちに復権し四道の都体察使を兼任、軍事を総指揮するが反対派の弾劾で失脚した

ヨハネ・ロドリゲス
ポルトガル人、イエズス会宣教師、長崎の大伝道所に所属した

楊天生 ようてんせい
台湾の海賊、顔思斉を棟梁として主に沖縄・台湾で海賊行為を行った

季如松 りじょしょう
明の提督、文禄の役で朝鮮の援軍として五万の兵を率いて日本軍と戦った、平壌にて小西行長軍を敗走させる活躍をし、漢城攻略を目指したが小早川隆景軍に敗れ戦意を消失した

リチャード・コックス
イギリス人、日本におけるイギリス商館長、ウイリアム・アダムス死亡時に立会人となった

ルイス・ソテーロ
永禄六年に来日して以来近畿・九州各地を伝道した宣教師、三十四年間滞在し晩年は日本滞在記である「日本史」を書いた

ルイス・フロイス
スペイン、セビリア生まれ、キリスト教の日本伝道を希望を抱いてマニラに渡り日本語を学ぶ、その後日本に渡来し布教のために日本各地を渡り歩く、フランシスコ派修道会に属した

ロドリゴ・デ・ビベロ
スペイン人、ルソン総督、職を辞してメキシコのノバ・エスパニヤに向かう途中、乗っていたサン・フランシスコ号が御宿で座礁、将軍・徳川秀忠と謁見し、百二十トンの帆船を借り受けノバ・エスパニアに帰った


*印は著者の創作人物または実在したかどうかは不明な人


あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 ら行 わ行
武将の妻・子
 商人・文化人 天皇・公家 僧侶・忍者等 外国人

ページTOP   HOME