中津藩主。、幼名・万吉。通称・官兵衛。洗礼名・シメオン。法号・如水。キリシタン大名。
黒田職高の長男。母は小寺藤兵衛職政の養女。祖父重隆は播磨の守護赤松氏の一族小寺氏の養子となり小寺氏を称した。
織田信長の傘下に属し中国征伐の秀吉に協力。
天正六年、荒木村重が信長に背いたとき使者となり有岡城に赴いたが捕らえられる。
翌年村重の滅亡により救出された。この功により同八年、播磨国揖東郡内に一万石を与えられ、竹中半兵衛に代わって秀吉の軍師となる。
同十年の毛利氏の高松城水攻めの際には講和の任にあたり、本能寺の変後の山崎の合戦では明智光秀と左翼山で戦うなどの武功もあげる。
同十三年、秀吉の四国征伐にも参加。同十四年の九州征伐には軍奉行として豊前に転戦。十二万石をあたえられて中津城を居城とした。
同十七年、家督を嫡子・長政に譲り如水と称す。しかしその後も小田原攻め、文禄・慶長の役に参加するなどして秀吉に仕えた。
関ヶ原の戦いでは長政が徳川方につき、官兵衛も豊前で石田方の大友義統を破った。この功により長政は筑前一国を与えられる。慶長九年伏見で死去。
妻:志方城主櫛橋伊定の娘
父:黒田職高
子:長政
兄弟:利高(弟)、利則(弟)、直之(弟)
|