奥州最上氏十一代当主。出羽・山形城主。最上義守の嫡男
弟・義時が伊達輝宗の後援で挙兵したが、輝宗と和議して義時を処断する
天童城主・最上頼澄を討ち、北出羽の雄として伊達家・上杉家との抗争を続けた
豊臣秀吉の小田原攻めではいち早く赴き、秀吉から本領を安堵され、従四位下・侍従となった
徳川家康に次男を人質と出し、豊臣秀次には娘を側室として送った
朝鮮の役では肥後・名護屋に在陣し、伏見工事も行う
しかし秀次事件では、娘を側室に出していたため謹慎を命ぜられる
関ヶ原では東軍として上杉討伐に参加。石田三成挙兵後に関ヶ原に転じた東軍の抑えとして、結城秀康を助けて上杉景勝を牽制するが、直江兼続の出羽進撃にあい苦戦を強いる。しかし西軍敗北と共に反撃して上杉軍を追い返した
戦後は出羽庄内を加えて五十七万石となり、左近衛少将兼出羽守に任ぜられる
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