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山内一豊(やまうちかずとよ) 山内猪右衛門 1546〜1605 |
初代土佐藩主。尾張守護織田信安の家老・山内盛豊の二男
幼名・辰之助。長じて猪(伊)右衛門と称す。対馬守
主家滅亡後に織田信長に仕え、元亀元年、越前金崎・姉川合戦に従う
のち豊臣秀吉の家人となり、近江・長浜で四百石を賜る
次第に加増され、天正十三年六月には若狭・高浜城で一万九千八百石を領した
同年閏八月には近江・長浜城主となり二万石をうけ、一万石の豊臣直轄領代官となり三万石の軍役を勤めた
同十八年、小田原征伐に従軍。遠江・掛川五万石を領す
関ヶ原の戦いでは東軍に属した。戦後、功により徳川家康から土佐一国二十万石余をうけ高知城に入る
慶長十年九月二十日、高知で没。六十歳
世継がなかったので、弟・康豊の子の山内忠義を養子とし、家督を譲った
妻:見性院(千代、出自は若宮氏、遠藤氏説あり)
父:山内盛豊
子:与祢(娘)、湘南宗化(養子)、山内忠義(養子:康豊の子)
兄弟:十郎(兄)、通(姉)、康豊(弟)、米(妹)、合(妹)
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