真田昌幸の次男。幼名・源次郎。左衛門佐信繁。
天正十三年、上田城が徳川家康に包囲された時、越後・上杉氏に救援を求める為、春日山城に人質として送られる。
同十五年、豊臣秀吉の近臣となり、大谷吉継の娘を妻とした。
秀吉没後は上田城に戻り、家康に属して会津征伐に加わる。しかし、石田三成が挙兵すると、兄・信幸と分かれて父とともに西軍に走り上田城籠城。徳川秀忠の軍をひきつけ関が原の本戦に遅参させている。
西軍敗北後は東軍についた兄・信幸の助命で死を許され、父とともに高野山に蟄居。
しかし慶長十九年、豊臣秀頼が挙兵すると大坂城に入った。
家康は幸村を味方に引きいれる為、信濃一国を与える条件で叔父信尹を派して説得したが、これをきっぱり断った。
冬の陣では真田丸にて徳川方の前田氏を手玉に取り、翌年の夏の陣では家康の本陣に突入するが、やがて力尽き戦死した。
妻:大谷吉継の娘
父:真田昌幸
子:大助(幸昌)、大八(片倉久米之助守信)、長女(真田家重臣妻)、次女(真田家重臣妻)、三女・阿梅(片倉景綱妻)、四女・あぐり(蒲生卿喜妻)、六女・阿菖蒲(田村定広妻)
兄弟:信幸(信之:兄)、信勝(弟)、昌親(弟)、妹(従兄弟・真田幸政妻)
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