小田原北条氏第三代当主。二代北条氏綱の嫡男。幼名・伊豆千代丸
弱冠十六歳の初陣で河越城主・上杉朝興の侵攻を撃退
上杉朝興没後に河越城を奪取したが、父・氏綱没後に山内上杉朝定が今川義元、古河公方足利晴氏、扇谷上杉氏と結び河越城を八万の兵で包囲。氏康は義元と和睦して、精鋭八千の兵で河越城を夜襲して朝定を討ち取った(河越夜戦)
これにより上杉の家臣の多くが北条氏に従い、武蔵を平定することになる
更に古河城を陥し、古河公方、上杉氏を関東から一掃。古河公方に血縁の足利義氏を立て、国人の大石・藤田両氏には子を養子として入れ、旧勢力を駆逐・あるいは掌握した
その後二度に及んで里見氏を下総・国府台で破り、常陸の佐竹義重を関宿城で破って関東に覇を打ち立てる
しかし越後の上杉謙信と対立。甲斐・武田信玄、駿河・今川義元と三国同盟を結び、関東で上杉謙信と戦った
上杉謙信軍十一万で居城・小田原城を攻められるが、約一ヶ月籠城の末撤退させた
以降、たびたび上杉軍と戦うが、武田信玄の駿河攻略により三国同盟が破れると上杉謙信と結んだ。北条氏は氏康の代に上野南部まで勢力を拡大している
代替り検地、「所領役帳」の作成、税制改革、支城制の整備などにより領内支配を強化する。民政にたけ、文化にも理解があり文武に秀でた名将であった
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