斉藤道三には「一代の国盗り説」と「父子二代国盗り説」がある
「斎藤道三一代の国盗り説」では、父が松波基宗といわれるが諸説があり明確ではない
幼少時に妙覚寺に入り法蓮房と名乗り、のちに還俗し庄五郎と称す。油問屋・奈良屋又兵衛の娘と結婚。山崎屋として油商人の行商をする。その後妙覚寺での弟弟子だった日運上人の推薦で美濃・土岐氏の家臣・長井長弘に仕え、西村勘九郎正利と称した
美濃の守護・土岐政頼の弟・土岐頼芸に取り入り、政頼を追放して頼芸を守護につける。そして長井家を乗っ取り長井新九郎規秀と称し稲葉山城を居城とした。その後守護代・斎藤家の家督を相続して斎藤新九郎利政と名乗り、土岐頼芸を追放して美濃を奪取した
美濃をうかがう尾張・織田信秀と争うが和睦。信秀の嫡子・織田信長に娘・濃姫を嫁がせた
剃髪して道三と号し、家督を嫡男・斎藤義龍に譲る。しかし義龍が土岐頼芸の子だという噂が国内に広まり、疑心暗鬼となった両者の対立して、弘治二年(1556年)の合戦に敗れ討たれた。享年六十三歳
「道三父子二代国盗り説」では、長井新左衛門尉が父の長井道三で長井家の権力を掌握するまでが父の功績となる。子は長井新九郎規秀と称し土岐頼芸に取り入り、守護・土岐政頼を追放した後の行動が彼であるという説
妻:稲葉良通(一鉄)の妹(姉?)、深芳野(土岐頼芸の側室)、明智氏(小見の方)
父:松波基宗?
子:義龍、利尭、帰蝶(濃姫・織田信長正室)、孫四郎(義龍に殺される)、喜平治(義龍に殺される)、長龍
兄弟:
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