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蜂須賀正勝(はちすかまさかつ) 蜂須賀小六・蜂須賀彦右衛門 1526〜1586 |
蜂須賀正利の子。阿波・蜂須賀家の祖。蜂須賀小六。通称・彦右衛門
尾張の野武士で、稲田大炊助・青山新七などの川並衆を率いて木曽川の水運業を行うことで生計を立てていた。若き日の秀吉を使っていたこともあったといわれている
斎藤道三や岩倉・織田信賢、犬山・織田信清、織田信長などに味方して尾張や美濃を転戦するが、主君はもたず独立勢力を保っていた。次第に木下藤吉郎を助けるようになり、美濃・墨俣城の築城に加勢。その後、秀吉の家臣となって戦功を重ねた。織田信長と合わずに直接仕えることを避けたためといわれる
手筒山城攻めや金ヶ崎城攻め、横山城攻め、長島一向一揆の平定戦などで功をあげる。また浅井方の磯野員昌や宮部継潤を誘降に尽力。羽柴秀長や竹中半兵衛とともに秀吉の懐刀というべき活躍をし、近江で三千二百石を領した
秀吉が越前から無断退陣による謹慎中には播磨へ出陣して土豪の懐柔のため働き、三木城落城後は播磨・竜野城主となる。その後は秀吉の戦(鳥取城攻め、備中高松城攻め、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦いに参陣。小牧・長久手の戦いでは大阪城の留守居役となる
丹波・河内五千石を加増され、紀伊征伐・四国征伐でも功をあげ、阿波一国を与えられたが辞退し、嫡男・家政が拝領
嫡子の蜂須賀家政に家督を譲り隠居後、大坂で没す。享年六十一
妻:?(正室)、益田氏娘(側室)
父:蜂須賀正利
子:家政(二代藩主)
兄弟:正元(弟)
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