播磨国印南郡米堕村に生まれる。幼名は弁助。父は田原家貞。作州の剣士宮本無二之助の養子となる。
武蔵は十三歳の時、播州平福で新当流有馬喜兵衛と戦い、打ち勝って以後、諸国を巡って剣の道一筋に錬磨し、その間京都一乗寺下がり松での吉岡一門との戦いをはじめ、二十九歳で九州舟島において佐々木小次郎と決闘する間、六十余度の勝負に一度も負けたことがない。
それ以後は天下を周遊して兵法を究め、二天一流を創始。姫路城主本多忠刻客分となり島原の乱に参陣した。細川忠利に客分待遇で熊本・千葉城跡に居宅を与えられる。そこで「五輪書」「兵道鏡」「独行道」などを書き上げ、書・絵・彫刻・工芸などにも優れた数多くの作品を遺して正保六十二歳で没する。
妻:なし
父:田原家貞・新免無二之助(無二斎・義父)
子:造酒之助(養子)、伊織貞次(久光の子・養子)
兄弟:久光(兄)
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