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山中幸盛(やまなかゆきもり) 1545〜1578 山中鹿之介 |
出雲・月山富田城で生まれた。名は幸盛。幼名・勘次郎。
父、満幸二十七歳で早世し、亀井秀綱の養子となったが、兄甚太郎が病弱のため廃嫡となり、実家に帰り山中家を継いだ。山中家は尼子家臣団では中老格。
尼子義久の小姓として仕えて数々の武勲をたて、英雄豪傑と称せられたが、毛利元就に攻められ月山・富田城に籠城するが尼子義久が降伏し浪人する。その後鹿之介は安芸に捕らわれた義久奪還に動くが、義久に尼子再興の意思なく諦め上洛。
京で僧となっていた尼子国久の孫・尼子勝久を擁立し、織田家の後ろ盾で尼子氏再興の中心となって旧領復活を目指し転戦する。
織田信長が秀吉を将として、播州上月城を包囲させ敵を降させとき尼子勝久を城将に任じ、鹿之介以下尼子勢に固めさせた。
翌年毛利氏の大軍に包囲された上月城は孤立無援となり、別所長治の三木城を攻めていた羽柴秀吉が上月城を救おうとした。しかし信長の命令によって上月城は見捨てられ落城し、尼子勝久は自害した。そして、鹿之介は備中松山城の毛利輝元の本陣へ護送される途中、甲部川の合の渡しにおいて殺害された。三十四歳。
鹿之介の子孫が、鴻池の祖になり三和銀行の基を築いたと伝えられる。
妻:亀井秀綱の娘
父:山中満幸
子:幸元、幸範
兄弟:幸高(兄)
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