豊臣秀吉の側室。豊臣秀頼の母。浅井長政の第一女。母は織田信長の妹・お谷の方
京極高次室・常高院および徳川秀忠室・崇源院の実姉。本名・茶々
父・長政の滅亡後、柴田勝家に再婚した小谷の方に従い越前北庄に入る
しかし小谷の方は天正十一年、越前・北庄で勝家とともに自刃
落城に際して二妹とともに秀吉に引き取られ、のちに側室となる
山城淀城にいたため淀殿と呼ばれ、また大阪城二の丸、伏見城西の丸に移り、二ノ丸殿・西ノ丸殿とも称される
同十七年、嫡男・鶴松を生むが早世
ついで文禄二年、秀頼を生んでからは権勢を握り、秀吉の没後も秀頼の後見として政治に関与
大阪両陣において徳川氏と対峙するが、大阪方の惨敗に終わり、元和元年五月八日、秀頼とともに自刃した
夫:豊臣秀吉
父:浅井長政
子:鶴松、秀頼
兄弟:万福丸(兄)、万寿丸(弟)、お初(妹:京極高次妻)、お江(妹:佐治一成妻、豊臣秀勝妻、徳川秀忠妻)
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