臨済禅宗、京の真如寺で出家、のち仁如集堯・叔原宗管などに参学、相国寺の住持となり中華承舜の法を嗣ぐ、その後相国寺第九十二世を継ぎ寺内に心華院を開祖し、鹿苑院に移って僧録職第四十四世となった、のちに南禅寺に進み義輝二十五年忌仏事や義昭の法要を行った、文禄・慶長の役では明の講和使節の冊封を読んだ、朝鮮派兵によって持ち帰った敵兵の鼻を埋めた鼻塚供養の導師を勤め、朝鮮の役戦没者の大施餓鬼の法会を京の方広寺大仏殿の前で行った、秀吉没後は徳川家康に従い、日鮮和議の締結や外国通航の朱印制度の設置に関与、家康の書籍刊行事業にも従事する、こののち再び鹿苑院で僧録司となったが、晩年は相国寺内の豊光寺に退居し没した
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