花崎城本丸空掘跡

花崎城の築城時期や築城者は不明である。近くにある粟原城(鷲宮城)の支城であるともいわれている。
永禄四年(1561年)に上杉謙信が小田原城の北条氏康を攻めたとき、粟原城主・細萱光仲は北条氏の援軍として小田原へ駆けつけた。結局謙信は小田原城攻略を断念したが、その鬱憤晴らしに羽生城主・木戸宮内少輔忠朝へ命じ、粟原城と花崎城を攻撃させたた。花崎城は光仲の子・細萱半左衛門泰秀が守っていたが、忠朝の攻撃により落城したという。これ以降、廃城となったのであろうか。

昭和55〜56年に発掘調査が行われ、畝堀、馬出し、橋脚及び障子堀などが出土したという。
現在の粟原城址は東武伊勢崎線の線路に分断され、花崎城山公園と城跡公園として残っている。城山公園には本丸とその出丸の空堀が確認できる。
城跡公園には木が生えているだけで、はっきり遺構と断定できるようなものは存在していなかった。


【 場 所 】 埼玉県加須市花崎2丁目
【交通案内】 東武伊勢崎線花崎駅下車 徒歩5分


 花崎址地図

花崎城山公園

この公園の中に空堀や水堀が遺構として残っています。

空堀

主郭を囲む空堀。公園と遺構がマッチした状態で保存されている。

水堀

主郭周囲にある水堀。現在も常時水が溜まっているようです。

城跡公園

線路の反対側の教習所の隣にある城跡公園。出丸(馬出し)があったようだが、その遺構は見当たらない。

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2007.1.4撮影
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