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(鷲宮城) |
鷲宮神社から粟原城を望む
粟原城(別名:鷲宮城)は関東最古といわれる鷲宮神社の社領領主の居館であったといわれる。
鷲宮神社歴代宮司を世襲した大内氏は古河公方に従い、粟原城に拠って豪族としても活動していた。その後小田原北条氏に従っていたため、永禄四年(1561年)に上杉謙信が小田原城の北条氏康を攻めたとき、粟原城主・細萱光仲は北条氏の援軍として小田原へ駆けつけた。結局謙信は小田原城攻略を断念したが、その鬱憤晴らしに羽生城主・木戸宮内少輔忠朝へ命じ、粟原城と花崎城を攻撃させたため、粟原城は焼討ちにあっている。
天正十八年(1590年)に小田原北条氏が滅亡し、徳川家康が関東に入封した際、鷲宮神社は社領四百石を与えられた。これ以降、廃城となったといわれる。
現在の粟原城址は鷲宮神社の裏手を走る東武伊勢崎線の線路の反対側に位置している。
城址は住宅や農地となっており、はっきり遺構と断定できるようなものは存在していなかった。
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【 場 所 】 埼玉県北葛飾郡鷲宮町粟原
【交通案内】 東武伊勢崎線わしのみや駅下車 徒歩5分
粟原址地図
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粟原城遠望
住宅がちらほら見える場所あたりに城があったと思われる。
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鷲宮神社本殿
中世以降、武将の信仰が厚く、藤原秀郷、源義家が尊崇し、源頼朝・北条時頼・北条貞時・小山義政などが神馬奉献、社殿造営を行っている。
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もっこく
鷲宮神社にある源頼朝の御手植のもっこく。治承四年十二月十日と書いてある看板が妙に新しい(笑)
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駒つなぎのさくら
鷲宮神社にある八幡太郎義家の駒つなぎのさくら。こちらの看板も真新しい。
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2007.1.4撮影
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