復元された宇都宮城の全貌

 宇都宮城は、北家藤原道兼の曾孫・藤原宗円が築いたいわれています。また、藤原秀郷が築いたという説もあります。
 三代目の藤原朝綱の頃に姓を宇都宮氏と改め、以降、関東の名門として戦国時代まで生き抜いていきます。京との繋がりも深く、京文化を下野に定着させようと務めました。
 戦国末期には小田原北条氏と対立していましたが、二十二代の国綱は天正十八年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際、秀吉の陣を尋ねて本領を安堵されています。しかし、その後の太閤検地が原因で、慶長二年(1597)に国綱が備前に配流され、宇都宮氏の治世は終わりました。
 その後、浅野氏・蒲生氏・大河内氏・奥平氏・本多氏・松平氏・阿部氏が宇都宮城に入城し、安永三年(1774)に戸田忠寛が入城したあとは明治まで戸田氏が城主となりました。
 特に家康の懐刀といわれた本多正純の治世では、城を二倍以上の面積に拡張し、城下町の大改修を行い、現在の宇都宮市街地の骨格を作り上げたました。
 幕末の戊辰戦争で江戸から敗走してきた大島圭介らによって城は焼失し、その後に堀は埋め立てられています。
 城は総面積十二万平方メートルの平城で、三日月堀・蓮池を含めて堀と塀が四重に囲んでおり、天守閣は無いが、その代わりとなった清明台をはじめとして、富士見櫓・北櫓・東櫓・巽櫓など十六基の櫓が配されていた関東の七名城のひとつであったといわれています。
 平成19年(2007)に清明台と富士見櫓、土塁の復元された宇都宮城址公園がオープンしました。

【 場 所 】 栃木県宇都宮市本丸町3520
【交通案内】 JR宇都宮駅からバスで県庁前下車、徒歩10分
         東武宇都宮駅から徒歩15分


宇都宮城地図

「よみがえれ!宇都宮城」市民の会ホームページ

復元清明台と富士見櫓

手前が清明台で奥が富士見櫓。清明台は18:00〜22:00までライトアップされます。

清明台

復元された清明台を外側から見たところ。土塁には高さ8.8mの内部空間があるということです。

富士見櫓

復元富士見櫓を内側から見たところ。土塁には9:00〜19:00まで登れます。

堀と市役所のビルのコラボ(笑

土橋の石垣跡

三の丸と二の丸をつなぐ土橋の石垣を復元したもの。本物は地下に保存されています。

戸田忠怒の碑

幕末の宇都宮藩主で勤王の忠怒の碑。


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2007.3.24撮影
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