館林城復元土橋門

館林城は、天文元年(1532年)に赤井照光が築き、狐が尾を曳いて縄張りを教えたという伝説があるため、別名・尾曳城とも呼ばれている。赤井氏は四代照景のときに小田原北条氏に属したが、永禄四年(1561年)に上杉謙信に攻略され、足利の長尾氏が城主となった。その後再び北条氏に属し北条一族の北条氏則が城主となったが、秀吉の小田原攻めのとき石田三成軍に囲まれ開城した。
徳川家康の関東入国によって徳川四天王のひとり、榊原康政が十万石で入城。寛永元年(1661年)に三代将軍家光の第四子・綱吉が二十五万石で入封。これにともない大修築が行われた。綱吉は城代に大久保忠辰を置いて自らは江戸に住み、館林城に入城したのは三日間だけといわれている。綱吉が五代将軍となると子の徳松が城主となるが、五歳で逝去すると廃城となり城は取り壊された。
宝永五年(1708年)松平清武が入封して城を再築する。最後の城主は秋元氏で、文政三年(1821年)出羽山形より六万石で入封し明治維新を迎えた。しかし城は明治七年の大火によって焼失し、昭和五十八年に土橋門跡に冠木門(黒門)が復元された。


【 場 所 】 群馬県館林市城町3-1
【交通案内】 東武館林駅から徒歩20分

館林城土橋門地図

館林城跡石碑

市立図書館の入口に立っている。

復元土橋門

復元された館林城の中心である三の丸に入る門。門前の堀に土橋があったことから「土橋門」と呼ばれている。

本丸土塁

田山花袋記念文学館の後ろにある本丸の土塁。遺構は数少ない。

館林城溝状遺構

発掘調査で見つかった石組みの溝状遺構を移設・復元したもの。向井千秋記念子ども科学館の後ろにある。

旧秋元別邸

最後の館林藩主「秋元家」にゆかりのある建物。5月はじめに行けばツツジが見ごろだ。

墓石群

旧秋元別邸にある墓石群。本丸跡や三の丸跡から出土したらしい。

三の丸庭園

文化会館の裏にある庭園。

榊原康政墓跡

館林駅前にある墓跡。ロータリー拡張工事でどかされてしまったらしい。現在の墓は善導寺にある。

茂林寺

ぶんぶく茶釜で有名な茂林寺。

つつじが岡公園

康政公が側室「お辻の方」をしのんでヤマツツジを植えたことからつつじが岡と呼ばれたらしい。


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2006.5.1撮影
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