高島城復元天守閣

天正十八年(1590年)、諏訪の領主だった諏訪頼忠が徳川家康の関東転封にともなって武蔵国へ移ったのちに豊臣秀吉の家臣・日根野織部正高吉が諏訪に入り、翌年に城地の見立てと設計を終え、文禄元年(1592年)に着工。慶長三年(1598年)まで七年かかって高島城を築城した。

城の際まで諏訪湖の水が迫っていたため、湖上に浮いて見えたことから別名「諏訪の浮城」と呼ばれた。また、「諏訪の殿様よし城持ちゃるうしろ松山前は海」と歌われた名城。

その後慶長六年(1601年)に、関ヶ原の戦いで徳川方に属していた諏訪頼水が、家康の恩恵によって旧領諏訪に戻り、以降10代藩主・忠礼にいたる270年の間諏訪氏の居城となった。

明治四年(1871年)、廃藩置県によって城郭の撤去が決定し、明治八年(1875年)には天守閣の撤去が終了。翌明治九年に本丸跡が高島公園として一般に開放された。

昭和四十五年(1970年)には天守閣が復興。同時に冠木門・角櫓なども復興されたほか、当時の石垣の一部も残るなど、今も往時を偲ぶことができる。


【 場 所 】 長野県諏訪市高島1−20−1
【開館時間】 9:00〜17:30(10/1〜3/31までは16:30まで)
【休 館 日】 12月26日〜12月31日および11月第2木曜日
【入 館 料】

大人 小人
150円 75円


高島城公式ホームページはこちら
【交通案内】 JR中央線・上諏訪駅下車・徒歩10分

高島城天守閣地図

冠木門

冠木橋から見た冠木門。昭和45年に復興された。

角櫓

復元された角櫓。この裏に高島城のキハダがある。

高島城のキハダ

薬用として城内に植栽され、必要に応じて刈りとった使用されていたといわれる。市木として指定されている。

信玄軍配

高島城内の資料室には武田信玄の軍配が展示されている。本丸御殿表玄関に掲げられていたという。

川渡門

正式には三の丸御殿裏門。城が湖に面していた頃は、ここから舟に乗ることができたという。

庭園

高島城天守閣から見た高島公園の庭園。整備されていてとてもきれい。


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2005.8.18撮影
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