旗本内藤氏の屋敷門

菖蒲城は室町時代の中頃に築城されたといわれている。築城したのは金田式部則綱で、古河公方・足利成氏の家臣。城の完成した日が5月5日の菖蒲の節句だったので、その名がついたとも伝えられている。金田氏は宇多天皇の後裔・佐々木氏として菖蒲佐々木氏とも呼ばれている。

古河公方と対立した上杉氏と戦い、古河公方が滅びたときに北条氏に属した。のちの豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏が滅びると、菖蒲佐々木氏も没落し城は廃城となった。

江戸時代には旗本内藤氏が知行し、その屋敷にあった裏門が移築され、現在は「城址あやめ園」となっている。

【 場 所 】 埼玉県南埼玉郡菖蒲町新堀
【入 館 料】 無料
【交通案内】 JR高崎線桶川駅から「菖蒲仲橋」または「菖蒲車庫」行バスで新堀下車、徒歩5分


菖蒲城址地図

内藤氏の説明看板

幕府旗本・内藤正成についての説明が記載された看板。内藤氏は5,700石の大身旗本で、その陣屋は現在の栢間小学校の敷地を中心にあったといいます。

あやめ園

敷地内はあやめ園となっており、園内のあずまや側に石碑があるだけです。

菖蒲城址碑

あやめ園内のあずまや側に立つ石碑。

石碑

城址碑の隣に立つ石碑。史跡として見れるものはこれだけです。


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2005.6.5撮影
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