栗橋城跡の看板

 古河公方の家臣・野口氏行の居館があったといわれる栗橋城は、永禄10年(1567)に北条氏照によって北関東一帯を上杉謙信への抑えの支城として改修されたものであるといわれています。権現堂川に面した近代城郭であったらしく、氏照の直轄として小田原北条氏の重要拠点となりました。
 天正十八年(1590)の豊臣秀吉の小田原攻めによって開城し、その後は廃城となっています。
 
 現在は権現堂川を掘ったために城跡は五霞町側と栗橋町側に分かれてしまいましたが、五霞町側には七曲と称せられる空掘りが現存しています。


【 場 所 】 茨城県古河市中央町3丁目10番56号
【交通案内】 東武日光線南栗橋駅から徒歩約30分
         幸手市からの市内循環バスで「船渡橋」下車、約10分

栗橋城地図

方宣寺の裏側

民家の敷地内になるので近寄らなかったが、空掘りがあるようだ。

権現堂川

城跡を分断している権現堂川を五霞側から栗橋側に見たところ。栗橋側には遺構はない模様。


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2007.2.22撮影
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