国宝 

犬山城入口

犬山城は天文六年(1537年)に現在の位置に天守が造営され、信長の叔父・織田与次郎信康が城主になった。その子・信清のときに信長と対立して城を陥とされる。

その後池田恒興、中川貞成を経て、文禄四年(1595年)に石川光吉が入城。慶長五年(1600年)の関ヶ原の戦いの後、小笠原吉次が入城した。この石川、小笠原両氏によって、近世の犬山城が完成された。

その後、平岩親吉のあと、元和三年(1617年)に成瀬正成が城主となってからは、成瀬氏が明治まで続いた。

明治四年に九代目正肥のときに廃藩置県で廃城となり、天守を除いてほとんどが取り壊された。明治二十四年濃尾震災で天守の東、南と西北の付櫓・城門が壊れたので、明治二十八年に旧犬山藩主・正肥に城を修理することを条件で譲られ、唯一の個人所有の城として平成十六年まで続いた。

昭和十年五月十三日に国宝に指定され、平成十六年四月一日より、所有者が成瀬家から、財団法人 犬山白帝文庫に変更された。

【 場 所 】 愛知県犬山市大字犬山字北古券
【開館時間】 9:00〜17:00
【休 館 日】 12月29日〜12月31日
【入 館 料】

一 般 小人(中学生以下)
500円 100円
※料金には犬山市文化史料館の入館料も含まれている

犬山城公式ホームページはこちら
【交通案内】 名鉄犬山駅または犬山遊園駅から徒歩15分

犬山城天守閣地図

木曽川から望む犬山城

山上にそびえる犬山城の雄志。要害だったと思われる。

天守閣

日本最古の天守閣であり、別名「白帝城」とも呼ばれている。これは江戸時代の儒者である荻生徂徠が中国の唐代の詩人李白の詩からとって名付けたと伝えられる。

城内の階段

これまた年季の入った急勾配の階段。本物が漂わせる良さがなんともいえない。

天守閣模型

城内に展示されている木造の天守閣の模型。

具足

城内に展示された具足。ガラスケースに入っており、うまく写真が取れなかったが、長久手の戦いに使われた具足だという。

歴代城主

成瀬家の歴代城主の絵が掲げられている。二代目の正虎の絵が黒田長政に見えたのは上総介だけだろうか。

天守から見た城門

天守からの眺めがすばらしい。木曽川の雄大な流れが見れる。

犬山神社の鳥居

初代成瀬正成が建立したという犬山神社は、犬山城入口の前に建つ。


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2005.6.10撮影
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