本庄城址碑

 本庄城は弘治二年(1556年)に武蔵七党の一党で児玉党の一族である本庄宮内少輔実忠により築城されたといわれている。
 本庄氏は、山内上杉氏に属したが、永禄十年(1567年)に後北条氏に攻められて落城し、後北条氏に属したが、実忠の子・隼人正の代に至って豊臣秀吉の関東攻めにより落城した。
 徳川家康の関東入国に伴い、信濃国松尾の城主・小笠原信嶺が一万石で入ったが、慶長十七年(1612年)に嗣子・小笠原信之が古河へ移封され、本庄城は廃城となった。

 現在の本庄城址周辺は宅地化され、唯一城山稲荷と八坂神社の周辺が城跡の雰囲気を残している。
 また、城山稲荷神社には本庄実忠によって献木された、樹齢およそ四百年と推定されるケヤキが現存し、埼玉県指定天然記念物となっている。

【 場 所 】 埼玉県本庄市本庄

【交通案内】 JR高崎線本庄駅から、徒歩15分


本庄城址地図

城下公園

本庄市役所の東に位置する城下公園。この奥に城山稲荷神社がある。

城山稲荷神社

弘治二年に本庄実忠が本庄城の守護神とするため、西本庄から椿稲荷明神を城内に奉斉したといわれる。

本庄実忠献木のケヤキ

ケヤキは目通り6.3メートル、根回り13.3メートル、枝張りは30メートル四方に及ぶ。

八坂神社

弘治二年に城下町の疫病除けの社として本庄実忠が勧請したといわれる。

東本庄稲荷神社

本庄氏の氏神である東本庄稲荷神社の周辺は東本庄館があったと推定され、本庄城の前身であると伝えられる。


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2005.7.3撮影
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