(甘棠院)

足利政氏館惣門

室町幕府を開いた足利尊氏は長男・義詮を二代将軍とすると、次男・基氏を鎌倉公方とし関八州・豆州・甲州の十カ国を独立統治させた。その補佐役に尊氏の母方の実家上杉家が関東管領として任命される。
結城合戦で敗れた足利持氏の四男・成氏は永享十三年(1441年)に許されて鎌倉公方となったが、康正元年(1455年)管領山内上杉氏との戦いに敗れて下総古河に逃れ古河公方を名乗るようになる。

その成氏の子で二代目公方となった足利政氏は、永正六年(1509年)に子の高基に家督を譲って隠居するが、北条早雲と通じた高基と不和となり、古河を追われ小山を経て久喜に逃れた。
のちに隠居し、永正十六年(1519年)には貞巌昌永和尚を開山として館を寺に改めた。これを甘棠院といい、足利政氏館跡と同公の墓がある。
なお貞巌昌永和尚は、政氏の子とも、弟ともいわれている。


【 場 所 】 埼玉県久喜市久喜市本町7丁目
【開館時間】 甘棠院史跡公園は常時開園
【休 館 日】 甘棠院史跡公園は常時開園
【入 館 料】 無料
【交通案内】 JR宇都宮線久喜駅東口下車後、徒歩20分

久喜市甘棠院史跡公園ホームページ
足利政氏館地図

足利政氏公墓同館跡石碑

足利氏の二つ引の家紋が刻まれた立派な惣門の横に立つ石碑。

山門

惣門をくぐり、まっすぐ進むとまたもや立派な山門が出現。

空堀跡

山門の前面から寺院の西側及び北側に空堀がめぐらされ、北側には土塁も築かれている。

本堂

永安山甘棠院は鎌倉にある臨済宗円覚寺派の寺院。本堂は門で閉ざされていて入れない。

足利政氏公墓

埼玉県指定史跡の五輪塔で113cmあるらしいが塀の外からの撮影だったのでよく見えない。

甘棠院史跡公園

甘棠院の裏手にあり、養護老人ホームが移転したために作られた。試掘調査で発見された堀の位置が復元されている。


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2006.1.8撮影
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