名は仁左衛門、駿河・沼津で大久保忠佐のかごかきだったといわれるがそれ以外は不明
実在の人物でないとも言われる
大坂の陣前後の時期、朱印船に乗ってシャムに渡り、首都のアユタヤに住む
そして日本人町頭領・津田又右衛門の日本人傭兵隊に加わって頭角を現し、のちにアユタヤ日本人町の頭領になった
またアユタヤ王朝国王・ソンタムの信任を得て、第三位であるオークヤー・セーナーピムックという官位を授けられる
ソンタム国王の死後、王子と国王の弟の王位をめぐる争いがおこり、宰相オマ・カラホムとともに王子をたてる
のちにオマ・カラホムが官史の推薦によって自らが王になろうとしたが長政が反対した
そのため六昆の防衛を理由にリゴール長官として左遷され、その間にオマ・カラホムが叛乱を起こし王子を殺害して国王となる
のちに長政はパタニ軍との戦いで足を負傷し、傷口にオマ・カラホム国王の一味の者によって毒をぬられて殺された
その後長政の子・オインが跡を継いだが、内部対立で殺害され、アユタヤ国王によって日本人町も焼き払われた
妻:タイ人
父:不明
子:オークン(オイン)
兄弟:不明
|